こんにちは!今回は、最近観てしばらく頭から離れなくなった映画『廃用身(はいようしん)』についてお話しします。
久坂部羊さんの医療ミステリー小説を映像化した作品(※ドラマ・映画)ですが、テーマがテーマだけに、観終わったあとにものすごいモヤモヤと、深い考えがぐるぐると駆け巡る作品でした。
綺麗事だけでは片付けられない「介護のリアル」を描いた本作ですが、観ていくうちに、私はある大きな違和感を抱かずにはいられませんでした。今回はその感想を率直に書いてみたいと思います。
『廃用身』のあらすじ:動かない手足を切るという「治療」
物語の舞台となる診療所では、脳卒中などの後遺症で二度と動かなくなってしまった高齢者の手足(=廃用の身)を「切断する」という、とんでもない治療が行われています。
一見、悪魔のような行為に思えますが、作中では驚くべきメリットが語られます。
- 手足がなくなれば、寝返りを打たせるのも、着替えさせるのも劇的に楽になる。
- 本人も床ずれの痛みから解放される。
- 介護する家族の負担が減り、お年寄りたちにも笑顔が戻る。
「誰も不幸になっていない、win-winの解決策」として描かれるこの状況。ですが、画面を観ているこちら側としては、どうしても素直に納得できない感情が湧き上がってきます。
私が感じた違和感:いくら軽くなるとはいえ、それでいいのか?
観ながらずっと考えていたのは、「確かに四肢を切断すれば物理的には軽くなるけれど、面倒をみる苦労の本質は変わらないんじゃないか?」ということです。
手足がなくなろうが、
- 毎日ご飯を食べさせ、水分を補給させる。
- 排泄の世話(オムツ替え)をする。
- 声をかけ、一人の人間としてケアをする。
こうした「命の面倒をみる」という行為の本質や、精神的なエネルギーは、体が軽くなったところで変わるわけではありません。
それなのに、「介護しやすくなったから万々歳」と手足を切り落としてしまうのは、人間をただの『管理しやすい物体』として扱っているようで、どうしても「本当にそれでいいの?」という疑問が拭えませんでした。
重労働の介護を少しでも楽にしたいという家族の気持ちも分からなくはない。だからこそ、この「効率化のために体を切り刻む」という選択肢に、得体の知れない恐怖を感じるのです。
まとめ:正解のない問いを突きつけられる映画
映画『廃用身』は、観た後にすっきりと感動できる作品ではありません。むしろ、心にトゲが刺さったような感覚が残ります。
「綺麗事の介護」と「非人間的な効率化」、私たちはどちらを選ぶべきなのか。あるいは、もっと別の道があるべきなのか。
超高齢化社会を生きる私たちにとって、決して他人事ではないテーマです。重い映画ですが、一度じっくり考えてみるきっかけとして、観てよかったと思える一本でした。
